特殊神事(芋煮之神事)

芋煮之神事(十一月三日秋季大祭)

 古来吉部八幡宮には芋煮の神事と称する式がある。当社例祭当日(昔は旧九月二十五日、現今は十一月三日)早社司は潔斎して社参し狩衣立烏帽子にて上殿古式の神事奉仕の儀を奏上して神殿西側の浜床でその式を行う。

 まず祓い式を行い式を浄め斎火をとって榊、杉の枯れ葉で火を焚いて炭に移し、代々社司一職相伝の式を行い、芋九個、餅九個を煮て神前に供する古式である。伝説にはその日の祭事神慮に副わざる事あるいは不吉な事などがある時は、その芋はさらに煮えないと言い伝えている。社司はその古式を終わり、芋、餅を調理して御神殿に供え社殿を下り累代社司の神霊に対し古式の神事が滞りなく終えた事を申告し、家中一同より社司に対し祭事神慮に叶える事の祝辞を申し、ここに初めて祭典の準備になるという。古来地方民間に「吉部の祭で芋が煮えた」という通語のあるのはこの神事より出た言葉である。

 とりわけこの古来の由来は、昔時当神社鎮座当時の神徳に起源されるもので、弘長元年豊前国宇佐八幡宮より御分霊を奉遷し、同年八月二十一日本殿に鎮祭して鎮座祭を行ったその日の直会の席における領主以下諸役人の賄い役を申しつけられた家の主人は、朝来家人および雇人等を促して準備をしつつあったが、時刻の相違であったか賄いの品が全く調わない中に、はや引き受け役から使者がきて「直会の席が整うたから早く出仕せよ」との事であった。主人は打ち驚き人々を励まして仕度を急いでいる内に第二の使者が来た。そうこうするうちに第三の使者も来た。その日の献立の中には芋の煮物があってそれがまだよく煮えておらぬけれども、第三の使者来ればどのような事情があっても一刻の猶予もできない規定であるので今は仕方なしにと、出来合いのまま運びだしたが、後で主人は残りの品を検すると芋の煮加減は中ばにも及んでいなかった。

 主人はこのような品を領主以下諸役人の膳に供しお怒りに触れる事は必定、仕儀によっては一家の者の生命にも係わる一大事である。せっかくの名誉の役も反って身の難儀となった事と、家人と共に悲しみ憂い、この上は神力に頼むより外なしと主人は直ちに身を清め、本殿に鎮座された産土大神を遥かに伏し拝み「今日の祭事に大事の役を奉仕する我等一家の者を護りたまえ」と一心こめて祈願をした少時の後、使者はまた来て賄い役に御用の筋があるから即刻直会の席に出頭せよとの事である。主人はさてはと胸轟き、もはや生きた心地もせず色青ざめて直会の席に罷りでた。すると上席より「今日の料理は誠に結構である。殊に芋の煮物は珍しく賞味した」とのお褒めの言葉であった。主人は夢かとばかり打ち喜びうれし涙に咽びつつ面目をほどこして退出し、「嗚呼ありがたい。未熟の芋と知って差し出した芋の煮物を、ことに賞味された事、これはひとえに大神の御加護である」と直ちに神殿に詣で御神徳のありがたさを奉謝したという。爾来その家の者は御神徳のありがたさを忘れず、毎年の大祭には必ず主人は芋の煮物を携えて神社に詣で、神仏に供えて神恩を奉賽したが、この事何時の頃にか大祭中の一つの行事となり、ついには神職において芋を煮て神前に供するに至ったのである。